ありがとう、すみ子さん。〜あるシェアハウスでの看取りの記録〜2026.01.22
令和7年10月8日 0時23分。彼女は、静かに旅立ちました。死因は老衰でした。
長い入院生活を終えて、住み慣れたこのシェアハウスに彼女が帰ってきたとき、私たち二人の24時間密着の介護体制が始まりました。
再び一緒に暮らせる安心感と、側にいられる喜び。 「熱は出ないだろうか」「鼻腔栄養は大丈夫かな」と、常に緊張の糸は張っていましたが、不思議と辛いとか大変だとは思いませんでした。ただただ、「元気になってほしい」という一心で、毎日を一生懸命に過ごしていたのです。
人として、人を想うことの尊さ。 彼女は、私がこれまでの人生で感じたことのない大切なものを教えてくれました。その温もりは、今も私の心の中に残っています。
繰り返される「ありがとう」の言葉
5月の終わりから、彼女の体調は一進一退を繰り返すようになりました。
38度を超える熱が出ては、解熱剤を飲み、体を冷やして眠る日々。苦しそうな彼女の枕元で、体の位置を整えてあげると、彼女は小さな声で「ありがとう」と言ってくれました。「大丈夫だよ」と答えると、また「ありがとう」と。
ときには呼吸が苦しくなり、酸素の数値が急激に下がって肝を冷やすこともありました。痰(たん)が詰まって顔色が悪くなるたび、必死に吸引を繰り返します。処置が終わって呼吸が楽になると、彼女の表情にスッと穏やかさが戻る。その一瞬の安堵のために、私たちは必死でした。
手がむくんでいればマッサージをし、声をかけ続ける。そんな私の手に、彼女は「すみません」とつぶやき、私が「大丈夫だからね」と言うと、深く、深くうなずいてくれました。
その姿を見ていたのは、私だけではありません。 シェアハウスの他の入居者の皆さんも、彼女の側へ寄ってきては声をかけたり、そっと手を握ったり。彼女が弱々しくも握り返してくれると、みんなで自分のことのように喜んだものです。
揺れ動く心、そしてお別れの時
夏の間は落ち着いていた体調も、9月の終わりとともに少しずつ陰りが見え始めました。 脈が弱くなり、尿の量も減っていく。固まった痰が取れず、苦しそうな彼女を見て、私の心は千々に乱れました。
スタッフたちは「これだけ頑張ったのだから、もう静かに看取ってあげよう」と話し合っていました。けれど私の中には、どうしても諦めきれない気持ちと、「受け入れなくてはいけない」という現実の間で、やり場のない虚しさが広がっていました。
そして10月7日の夜。 いつもと変わらない日常の中で、急に数値が下がり始めました。静まり返った部屋に、酸素吸入の音だけが響いています。
翌10月8日、午前0時23分。 駆けつけたご家族と医師に見守られ、彼女は静かに息を引き取りました。
私はただ、「よく頑張ったね」と声をかけるのが精一杯でした。言葉にならぬ思いを込めて、ただじっと、彼女の頭を撫で続けました。
彼女が教えてくれたこと
2026年の年が明けました。 彼女が旅立った後、私はしばらく体調を崩していましたが、少しずつ元気を取り戻しています。
本当は、もう少しだけ一緒に暮らしたかった。 けれど今は、あちらの世界で娘さんとご主人に再会できているかな、と想像しています。3人で笑い合っていてくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
彼女と出会えたことに、心から感謝しています。 すみ子さん、本当にありがとうございました。